つぼみのもっと知りたい!災害看護

「災害看護」って聞いたことはあるし、授業でも習うけど
実際どんな活動をしていて、どんな情報があるのだろう?

そんな災害看護について医教マスコットの『つぼみ』が徹底調査します!

毎年のように起こっている災害や大規模事故の現場でも
たくさんの看護師さんが活躍しています。
みなさんもつぼみと一緒に災害看護について知識や情報を学んで
いざというときに活かせたらいいですね★


四十竹美千代(あいたけみちよ)さん
赤十字の看護学校卒業後、臨床現場で勤務。
現在は大学の看護学部で教員として看護学生の育成に携わっている。

前回に引き続き、7年前の3月11日に発生した東日本大震災で災害医療チームの看護師として、被災地で看護活動を行った、四十竹美千代さんに当時のお話を聞いてきました!

「目に見えない部分のケア」について

やっぱり、「目に見えない部分のケア」となると、時間や関係性が必要なんでしょうか?

(四十竹さん)1週間って期間を決めなくてもいいんじゃない? というのは思いました。1か月とか、それぐらい必要なんじゃないかって現場では言っていましたね。
……でも物理上どうしても無理なんですけどね。今度は自分が所属する病院が回らなくなってしまうので。

―――――(つぼみ)災害看護の資格取得の研修で、そういった心のケアや慢性期の状況のシミュレーションはなかったんですか?
(四十竹さん)シミュレーションするのはだいたい第1陣、発生直後がやはりメインなんです。演習でするのは発生直後、いかに早く動けるかなんですよ。長く続くことを想定するシミュレーションなんていうのは無くて。
東日本大震災の時にも注目されたのが、赤十字が持っている独自の方法の「心のケア」の巡回がすごく良かったって、報道などでも言われていて。赤十字は災害の際の「心のケア」をすごく重要視しているんです。

―――――(つぼみ)「心のケア」の中で薬物療法なんかも行われていたんでしょうか?
(四十竹さん)はい。医師が抗不安薬とか、必要に応じて処方していました。

―――――(つぼみ)1か月経っている時の医薬品の物資の状況ってどうだったんですか?
(四十竹さん)それは毎回補充分を持って行ってたんですよ。もう避難所の診療所なんかは、ちょっとした病院みたいになっていて、一通り医薬品は揃っていて。そこで申し送り簿で事務の人がチェックして、足りなくなったら次の部隊が持っていく、ってかたちをとっていました。体育館の一角が避難している人を診るための病院になっていたんです。
それから、すぐ近くに自衛隊が運営する診療所もできていたんですよ。それはなんのためかと言うと、避難所にいない近隣のひとたちのための診療所。家に住んでいる人たちのための。そうやってちゃんとテリトリーが決められていて、継続して診られるような体制になっていたんです。

―――――(つぼみ)その自衛隊の診療所との連携はとられていたんですか?
(四十竹さん)それが前述した石巻の赤十字病院での集合です。1日何人ぐらい診察にきたか、とか、どんな患者さんがきたか、とか、大きなホワイトボードに書き込みながら報告し合って。

―――――(つぼみ)その石巻の赤十字病院に集まっていた災害医療関係者っていうのは、総勢何名ぐらいいたんですか?
(四十竹さん)相当数いました。何人ぐらいかな。自衛隊も、赤十字も全国から何チームも来ていたので、少なくとも100人は超えていましたね。ひとつのホールに入りきらないぐらいの人が集まって。とは言え、1か月経っていたので、人はだいぶ落ち着いていましたよ。
とにかく津波の爪痕だけがまだ大きく残っていましたね。片付けが追いついてない感じで。ご遺体もまだ残っていました……。
でも水道の復旧はもう終わっていましたね。完全に、ってわけではないんですけど、被災した直後のような「水が足りなくて」っていう状況ではなかったです。ある程度の水は確保されていて。あと近くの大型スーパーもすでに稼働していました。医療チームもそこでゴハンを買いに行ったりして。


(女川消防署 2011年4月10日撮影)

実際に被災地に行って感じたこと

被災地へ行く前のイメージと行ってから感じたことは何か変化はありましたか?

(四十竹さん)メディアで報道されているのは一角だけですね。「災害看護」と言ってもその背景には色んなものがあるなって行って感じましたね。やっぱり、あの女の子(前回を参照)とのかかわりが大きかったですね。「災害看護」ってなんなんだろう? ってすごく感じて……。災害看護って、やりがいがあるように見えて実はすごく奥深いものなんだなと感じました。行く前はそれこそ皆が思うようなドラマの中の、救命処置やトリアージのことばかりのイメージだったけど、実際に被災地に行って、その段階(急性期)が過ぎたあとの心のケアがとても重要だと思いました。
以前、黒田裕子さん(※)のお話を聞いたことがあって、その時「心のケア」の大切さは聞いていたんです。でも、行って改めて「そうだよな」と心から実感したし、行かないと実感できなかったですね。

災害看護に関わるには……

いま看護師を目指す学生さんで「災害看護に関わりたい」という学生さんはどうしたら良いですか?

(四十竹さん)そういった学生さんたちにまず勧めるのは赤十字病院への就職ですね。災害看護と言えば赤十字病院。やっぱり災害医療に特化していますし、そういったチームも独自で作っていますし。演習とかでもほんとすごくって、奉仕団の人を巻き込んでしっかりやるので、災害が起きた時のイメージもしっかりあって。あと海外への災害派遣とかそういうシステムもありますし。海外だと半年ですね。

―――――(つぼみ)四十竹さんから見て、どのような看護師さんが災害看護に向いていると思いますか?
(四十竹さん)急性期の被災地で必要なのはやっぱり外科的な判断・処置ですね。そういう知識を持って、外科的な行為ができる人じゃないとなかなか行けないし、現場で役に立てないと思います。だから、災害看護師としていつか活動したいと思うなら、まず、就職した際の希望を外科にすると。臨床の場では医師がしている行為も、災害の場では看護師が行わなくてはいけない場面もたくさんあるので。あとは、救急の現場で働くのも良いですね。救急現場ではいかに自分が医師のような動きができるのかが求められるます。医師の指示を先回りして動ければロスがなく処置できますし、そこで救命が高まります


(日本赤十字社医療救護所(東松島市鳴瀬庁舎駐車場 2011年4月14日撮影)

四十竹さん、今回はお話を聞かせていただきありがとうございました!!

※黒田裕子さんについて

黒田裕子さんは阪神・淡路大震災をきっかけにご自身の看護師としての経験を活かし、「特定非営利活動法人 阪神高齢者障害者支援ネットワーク」を立ち上げ、阪神・淡路大震災で被災された方々の支援を行ってきました。また、新潟県中越地震や能登半島地震、東日本大震災でも黒田さんは災害が起きるたびに被災地に駆けつけ、医療相談や現地のボランティア活動の支援を行い、月日が経過しても、避難所や仮設住宅の見回りをしたり、被災者の方々のお話を聞いたり、長期に渡って継続的な支援を行っていました。とあるインタビューで黒田さんは「被災者は、日が暮れてから寂しさがつのる。その寂しさにこそ、ボランティアは寄り添うべき」と語っていました。2014年9月24日に73歳で逝去されました。亡くなる直前まで宮城県での支援活動を行っていたそうです。
黒田裕子さんの災害看護の活動についてや、理念の本質などが、黒田さんと親交の深い方たちから語られ、記してある本が日本看護協会出版会から出版されています。『災害看護の本質 語り継ぐ黒田裕子の実践と思想』こちらもぜひご参照ください!

 

「災害がきたときは看護師として役に立ちたい」「災害看護に関わりたい」と思ったら?

たとえば……

●日本看護協会が管理する『災害支援ナース』に登録する
【要件・条件】
以下の条件を必要とします。
・都道府県看護協会の会員であること。
・実務経験年数が5年以上であること。
・所属施設がある場合には、登録に関する所属長の承諾があること。
・災害支援ナース養成のための研修を受講していること。

また、災害支援ナースとして登録する際に望ましい条件は、以下の通りです。
・定期的(1年に1回程度)に本会または都道府県看護協会で開催する災害看護研修もしくは合同防災訓練への参加が可能であること。
・災害看護支援活動も補償の対象に含まれる賠償責任保険制度に加入していること。
・帰還後に都道府県看護協会が主催する報告会や交流会などへの参加が可能であること。

【登録更新期間】
都道府県協会が定める災害支援ナースの更新期間に沿って、定期的な登録更新が必要です。

【登録先】
災害支援ナースの登録先は、所属機関(看護職として勤務している医療機関または福祉施設)の所在地にある都道府県看護協会です。

引用:日本看護協会 https://www.nurse.or.jp/

●日本赤十字で災害看護を学ぶ
日本赤十字と災害救護(医療)の歴史は長く、戦前から始まり、大正時代に発生した関東大震災や戦中・戦後、現在までの大きな事故や災害の現場で多くの日本赤十字の医療者が活躍してきています。日本赤十字の看護学校・大学・短期大学は全国にあり、災害看護に関する授業数が多く、救護訓練など、赤十字の特色ある教育を行っています
「災害看護を学びたい! 」と思っている学生さんは是非、進路の選択肢として考えてみてください。

全国の日本赤十字の看護教育施設一覧は、コチラ。 

 
今回インタビューをさせてもらって……

この度は、西日本で発生しました大雨により、被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
東日本大震災から早くも7年以上が経ちます。当時は、被災地から離れていたのでテレビや新聞の報道を観ながら毎日悲しみと驚きの日々でした。でも、今回四十竹先生のお話を聞かせて頂いて、知らないことだらけだったんだなと改めて痛感しました。
最近も突然の災害は多く、いつ、どこで、誰かが、そして自分も被災することがあるかもしれません。
震災や豪雨による被災で、今もなお避難されている皆様、支援活動を行っている皆様の安全と、1日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
これからも「少しでも役に立ちたい! 災害看護に携わりたい!」と思ってくれている人を、つぼみも手助けできるようになりたいなと思っています!

写真の出典
災害写真データベース 一般財団法人消防防災科学センター運営