今回頂いた質問

今度実習で外国人の患者さんを担当することになりました。私より綺麗な日本語を話す欧米系の方なので食事や宗教がらみのタブーはないと思うのですが、欧米の方でもタブーのようなものはあるのでしょうか。

信仰されている宗教や国籍などがわかりませんので軽率には言えませんが、ご質問のとおり欧米系の方が主に信仰されている宗教は、日常生活における戒律はそれほど厳格ではありません。もちろん、日本と異なる文化や信仰に基づく生活習慣を持っていることもあるので、事前に確認をしたほうが安全です。
また、長年日本に住んでいる外国人の方でも日本の保健医療福祉の制度を理解していないことが多いため、必要な援助が受けられるよう正しい情報を提供することが重要となります。
それでは、多文化看護について確認しておきましょう。

多文化看護

多文化看護の理論家レイニンガー,Mは、多文化看護を「対象者に文化的に適合し、意味深くかつ有益なヘルスケアを提供するためのヒューマンケアの研究と実践である。特に対象者の信念、価値、生き方における類似点と相違点の比較に焦点をあてている」と定義しています。また、これらのケアは、特別な対象に対して行うことを前提としているのではなく、対象がどんな民族・国籍・疾患の人であろうと、文化的背景に着目してケアは行われるべきであると説いています。

生活圏特有の文化と習慣

在日外国人の場合、日本に居住して、日本文化によりそって生活している人も多いですが、それでも、彼らがその日本文化をどのようにとらえているかを理解しなければ、本来の「看護」を行うことは不可能です。外国人患者の病気の原因が、日本特有の食文化や習慣によるもの、また、日本人特有のコミュニケーション方法などに対するストレスかもしれないからです。

言葉の問題

日本に来たばかりの外国人や日本勤務になった人の家族が病院を訪れた場合は、まったく言葉が通じないことがありますが、まずは手振りや表情、タッチングなどで安心感を与えながら、相手がどういう状態であるかをアセスメントすることが大切です。もちろん、家族が言葉を話せるのであれば、それを頼りますが、医療の正確な情報を伝えあうためには医療通訳が必要ですので、日ごろから医療通訳をはじめ、どこの病院にどの言語で対応できる医師がいるのかなどの情報、また、多言語コミュニケーションツールなども知っておくことが必要です。

医療通訳や医療情報

外国人にむけた医療通訳や医療情報の提供は、特定非営利活動法人AMDA国際医療情報センターや、一般社団法人社会的包摂サポートセンターが電話対応などを行っています。

【特定非営利活動法人AMDA国際医療情報センター】

・電話相談(英語、タイ語、中国語、韓国語、スペイン語、ポルトガル語、フィリピン語、ベトナム語)
・受託事業
・外国人母子保健関連事業
・母子保健ガイド
・タイ人向けAIDSサポートなど

【一般社団法人社会的包摂サポートセンター】

・外国語による相談(英語、中国語、韓国語、タガログ語、タイ語、スペイン語、ポルトガル語)

では、国家試験で出題された在日外国人への看護に関する問題を解いてみましょう。

問題

第103回 看護師国家試験 午後問題79

Aさんは、3年前に来日した外国人でネフローゼ症候群のため入院した。Aさんは日本語を話し日常会話には支障はない。Aさんの食事について、文化的に特定の食品を食べてはいけないなどの制限があるがどうしたらよいかと、担当看護師が看護師長に相談した。

担当看護師に対する看護師長の助言で最も適切なのはどれか。

1.日本の病院なので文化的制限には配慮できないと話す。
2.文化的制限は理解できるが治療が最優先されると話す。
3.Aさんの友人から文化的制限に配慮した食事を差し入れてもらうよう話す。
4.文化的制限に配慮した食事の提供が可能か栄養管理部に相談するよう話す。

1.× 「看護者の倫理綱領」にあるように、看護師は、患者の国籍に関係なく宗教、信条、ライフスタイルを尊重し、平等な看護を提供する必要がある。

2.× 患者を最適な健康状態に至るよう援助するという看護の目的達成において治療は優先されるべきものであるが、宗教や信条、ライフスタイルは尊重しなければならない。

3.× ネフローゼ症候群の治療ではステロイド剤の服用や治療食などの食事療法などが行われるため、文化的制限に配慮がしてあっても、治療食以外の食事の差し入れは避けるべきである。

4.○ 「看護者の倫理綱領」が定めるとおり、患者個々人の宗教・信条・ライフスタイルなどを尊重し受け止める姿勢が求められる。

答え…4

編集部より

近所の病院を受診したとき、待合室にいた患者の1/3ぐらいがアジア系の外国人の方でした。もともとアジア系の方が多い地域でしたし、待合室での会話が日本語だったので気にも留めていませんでしたが、改めて考えてみると多文化看護の現場を目の当たりにしていたことになるのでしょうか。多文化看護と改まっていわれると何か高尚なことのように感じますが、すでに看護の現場では当たり前の光景なのかもしれません。